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古くて大きな家に物がたくさんある。断捨離したいと思っているのに、結局お茶や買物に行ってしまい、捨てずに日々が過ぎていく。この状況から一歩踏み出したい、という相談メールをいただきました。
この記事で回答します。
まずメールをシェアしますね。サンさんからです。
捨てたいのに、なかなかできません
件名:毎日捨てようと思うのにお茶してしまい眠くなってしまう
筆子さんに出会ってからあまりに衝撃的で毎日その通りだなぁと思いながら読ませていただいています。
なのに、いざ捨てよう!と思うと腰が重く、まずはご飯食べて落ち着いてからとか、ついお茶や食事や買い物へ。
するとなんか疲れたと眠くなってしまったり疲れて、あげくの果てに
私の家はまだごみ屋敷ではなくて物が多いだけ!と言い訳してやり過ごしてしまいます。
両親を相次いで介護し見送り1人になり4年に。仕事もずっと自営業で休みもなく両親と働いてきましたが閉め、これからどうしようと思いながらボランティアをしたりしています。
家も事業をしていたので、古い上にかなり広くて、友人にも、これからあなたの後に住む人も相続する人もいないんだから、売ってマンションにでも行かないと大変だよ!と。
生まれ育った土地や家をこわすのも、気持ちの整理もですが、まず自分で整理して捨ててからでないとと思ってしまい、使ってない家はゴミ!もわかるのですが、ズルズルで私が死ぬまでこのままかも?とも不安になります。
つくづく自分を全然大切に出来てないなぁと感じます。
今まで仕事のこと親のこと人のためなど、いつも自分以外のことばかり考えて来て、今さらながら、自分をどう大切にしてあげたらいいのか?私ってどうしたら幸せって感じるのか?わからない気がしています。
あまりに沢山の事を背負いすぎて来てか、いざシンプルに! これからの人生自分を大切にして良い!と思うと罪悪感すら感じます。
本当に自己肯定感低すぎ!です。
自分を大切にして幸せになってもいいと思える考え方や、こんな私でも一歩踏み出せる考え方を教えていただけたらありがたいです。
よろしくお願いいたします。
サンより
サンさん、お便りありがとうございます。
お問い合わせフォームの「題名」のところに入れていただくタイトルが、そのメールの件名となり、私のインボックス(受信箱)に並びます。
Gメールで、「毎日捨てようと思うのにお茶してしまい眠くなってしまう <筆子ジャーナル問い合わせ>」という文字を見たとき、正直、「はあ? 何言ってるの?」と思ってしまいましたね。
子供じゃないんですから、お茶にいかずに、捨てればいいだけのことです。
24時間、お茶と食事と買い物に費やしているわけじゃないですよね? ボランティアをされているそうですが、現在、仕事はしていないようです。
それなら片付けをする時間なんていくらでも捻出できます。
毎日、お茶したり、買物に行かねばならない、確固たる理由がありますか?
たぶん、サンさんは、今後の方針がまったく定まっておらず、糸の切れた凧(たこ)みたいな暮らしをされているのでしょう。
糸の切れた凧人生を送るのは、サンさんがご自身で選んでいることです。
自分でそうしたいと思って(あるいは何も考えずに)ふらふらしているのですから、「眠くなって捨てられません」と言われても、私にはどうすることもできません。
とはいえ、質問をいただいたので、いくつかアドバイスします。
今後の方針を決める
まずしっかり時間を取って、今後自分はどんなふうに暮らしていきたいのか、だいたいの方針を決めてください。
サンさん、性別も年齢も書かれていませんが、女性ですよね? まあ、男性でもやることは同じです。
いったい、いくつぐらいの方なのでしょう? すごく若い方のようにも思えますが、ご両親を見送ったとあるから、私と同世代なのかなあ、とも思います。
今後結婚されるかもしれませんが、サンさんはこのままいくと、いわゆる「おひとりさまの老後」を迎えるわけです。
サンさんは毎日少しずつ老いて、いずれ死にます。ご両親を介護されていたのだから、人が老いて死ぬことはしっかり認識できていると思います。
サンさんはいずれ死にますが、それまでまだ人生の時間がかなりあります。私と同じ年だとしても20~30年は生きる可能性がありますね。
そのあいだずっと、ご両親の残してくれた広い家で、いらない物に囲まれて暮らしたいのですか?
「筆子ジャーナル」を読みながら、「なるほど!」と思いつつも、片付けることができず、セルフエスティームを下げ、先の不安を感じながら。
古くて大きな家を一人で維持するのは、お金も気力もいりますよね。掃除1つとっても大変です。お便りを拝見する限り、お金の心配はないようですが。
これから自分はどんな暮らしをしたいのか、まずそこを考えてください。
「私ってどうしたら幸せって感じるのかわからない気がしています」と書かれていますが、「わからない気がします」なんて、他人事みたいに言わないでください。
これまで真剣に、今後のことを考えたことがありますか?
ブレインダンプをして、今後どうしたらいいのか、思いつくままに書いてみてはどうでしょう? ⇒頭の中のガラクタを断捨離するブレインダンプのやり方
「いつも自分以外のことばかり考えてきた」とありますが、自分のことについて自分で責任をとるのが嫌だから、人のことを考えるほうに逃げていたんじゃないですか?
仕事やご両親の介護ですごく大変だった日々が終わって、心の中にぽっかりと穴が開いてしまったのかもしれませんね。でも、一人になってもう4年もたつのですから、そろそろ立ち直ってもよい頃です。
沢山のことを背負ってきたそうですが、いまは、家とその中にある物以外は、サンさんが背負っているものはないのですよね?
だったら、これからは何でも自分の好きにしたらいいと思います。そのために、これからどうしたいのか考えてください。
今後の暮らしのイメージがまったくわからないなら、先に終わりを思い浮かべるといいかもしれません。自分はどこでどんなふうに死にたいのか、ということです。
あるいは、1年後、5年後、10年後の暮らしを考えてみてもいいでしょう。
優先順位の見直し
方針が決まったら、理想の人生を送るために、今すべきことは何なのか考えて、優先順位の高いことから行います。
仮に、家を売ってマンションで暮らすことにするなら、まずすべきことは、新しい住居の確保、次に家を売る準備です。先に家を売ってもいいですけど。
売らずに更地にするなら、解体の流れや業者について情報収集することから始まります。この場合も、自分の住む場所を確保しておいてから、となるでしょう。
今の家でずっと一人で住む選択もあります。場所や家の形態によっては、人に貸すこともできるかもしれませんね。
サンさんの家が大きいのは、事業をしていたからですよね? 同じ業種の人に使ってもらうことができるかもしれません。
いずれにしても、毎日お茶や買物に行き、疲れて帰ってきて「ああ、眠い。きょうも片付けできなかったなあ」なんて思いながら暮らしてる場合じゃないでしょう。
「家を売るのは買うより数倍難しい」と言われますが、不動産の売却を専門としている業者もいますし、やってみればそんなに大変ではないと思います。
やることがたくさんあって、頭がくらくらする、と思ったら、作業を細分化して一つずつクリアしてください。
ご両親と事業をされていたのですから、こういうことは得意ですよね?
ゆるい片付けから始める
新しい場所に住むにしても、今の家に住み続けるにしても、使っていない物は処分したほうがいいです。きょうからゆるく片付けを始めてください。
断捨離の腰がなかなかあがらない人は、片付けのハードルを自分であげています。
いっぺんに、きっちり、完璧にやらなければいけない、というように。
きのう、私の1000個捨てプロジェクトについてお伝えしましたが⇒持たない暮らしに近づく1000個捨てチャレンジの楽しみ方。 このぐらいのゆるさでいいので、とにかく捨て始めてください。
以前、ESSEという雑誌に、「ゆる捨て習慣」を紹介したことがあります⇒「ゆる捨て」習慣で人生が変わる:雑誌『ESSE』に筆子が監修した記事あり(12・1月合併号)
むずかしいことは何も考えなくていいから、片付けやすいところから、1日15分、ゆるゆる捨てるやり方です。これでかなり片付きます。
サンさんみたいに、「捨てたいけど、始められない」という人向けの記事も、たくさん書いています。
たとえばこれ⇒何から片付けたらいいのかわからず、動き出せないときはこうしてみる(汚部屋改善) タスクの細分化の方法も書いています。
考え方の記事はこちら⇒だから捨て始めることができない。行動できない6つの理由と対応策。
こちらもおすすめです⇒捨てたいけど捨てられない。うじうじと汚部屋で考え込む生活を変える5つの方法。
ほかにもたくさん書いているので、必要に応じて参照してください。
自分を大切にすることについて
今後の方針を定め、目標や課題をクリアするために、毎日少しずつ努力して、小さな成功体験を積み重ねていく。こういう生活をすれば、自然に自分の価値を認められるようになります。
「自分を大切にして幸せになってもいいと思える考え方」については、これまでいくつも書いてきました。
セルフエスティームの記事を読んでください。いくつかありますが、こちらからどうぞ⇒もっと自分を好きになろう。ラディカル・セルフ・ラブのすすめ(TED)。
自分を大切にする・しないも、本人の選択です。「今まで自分のことをないがしろにしてきたから、きょうから私はもっと自分を大事にしよう」と思って、そうするだけです。
そうすることに、べつに誰かの承認を得る必要はないし、納得できる理由を探す必要もありません。
「幸せになりたい」というのは、人間のごく自然な欲求ですから。