ページに広告が含まれる場合があります。
残すもの・捨てるものを素早く決めるコツをお伝えしています。
3回めは、完璧主義を手放すすすめ。
完璧主義の人は、さっと決めることができません。
決断を邪魔する完璧主義
何ごとも完璧を期したいと強く願っている人は、間違った決断をすることをとても恐れています。
毎回、正しい選択をしなければならないと思い込んでいるからです。
ゆえに、ガラクタ化している置物1つを捨てるときですら、「これを捨てるのは、本当に正しいことなのか? 間違っている選択ではないのか?」と、ぐずぐず迷ってしまうのです。
たくさんある写真の中から、残す写真を決めるときも、どれを残すべきか、長々と考え込みます。
ベストな決断をするために、できるだけたくさんの情報を集め、準備し、人や世間の意見を参考にしながら、吟味することに時間を費やすため、いつまでたっても、捨てるところまでいきません。
さらに、間違った決断をしたあとのことを、先回りして心配します。
これを捨てちゃって、あとで必要になったらどうしよう?
あとで後悔するんじゃないかしら?
贈り物を捨てたことが、くれた人にばれると、あとでとても気まずいことになるんじゃないかしら。
こんな具合です。
準備や心配など、決断することに直接関係ないことに、時間とエネルギーを注ぐため、いつまでたっても、決められないのです。
この状況から抜け出す方法を、2つ提案します。
1.基準を下げる
無意識に感じている正しさ(完璧さ)の基準をぐーんと下げてください。
「まあ、方向性が合っていればいいか」「「べつにいいや、失敗しても」と思うのです。
半ばガラクタとなっている衣類や雑貨、本、写真の中から、残すもの・残さないものを決めそこなったからといって、いったいどんな最悪なことが起こるのか?
たいしたことは起きませんよね?
ぐずぐず迷うだけ、時間とエネルギーの無駄です。
仮に、「残すべきだった物を捨ててしまった」という失敗をしたとしても、いくらでも挽回できます。
衣類なら、新しいものを店で買ってこればいいし、人から借りてもいい。本も図書館で借りられるでしょう。道具ならほかのもので代用すればいいし、「なしで過ごす」という最強の方法もあります。
「選択ミスをしたくない」と、強く思うなら、捨ててから起こりそうな「最悪なできこと」をリストアップして、先に対策を考えておくといいでしょう。
新たに買う、借りる、何かで代用する、なしで過ごす。
この4つのどれかを使えば、しのぐことができます。
実際は、いったん捨ててしまうと、捨てたもののことはすぐに忘れるものです。
覚えていたとしても、「どうして私はあそこまで、あの品物に執着していたんだろう?」と不思議に思うのではないでしょうか?
2度と手に入らないもの
「捨てて、あとで困っても、いくらでも挽回できるよ」と言うと、「でも、これ、捨てたら2度と手に入らないんです!」と悲痛な叫びをあげる人がいます。
「2度と手に入らないからって、それがどうかするわけ?」と私は言いたいですね。
だって、「2度と手に入らないお宝です」と、あなたが今、がしっとかかえている服や雑貨は、これまでは、ろくにかえりみられず、たんすの肥やしや、クローゼットのぐしゃぐしゃの構成要因の1つとして、眠っていただけですから。
それ、そこにあるだけだったんです。
あなたは、「お宝です!」と言うけれど、ちっとも大事にしてこなかったことを思い出してください。
長年、そのへんに放置していただけだし、それでも、あなたは、ふつうに生きてこられました。
なくても大丈夫なんです。
どうしても心配なら、写真に撮って、プリントして引き出しに入れておけばいいでしょう。
そこにあるだけでよかったのですから、写真で十分ではないですか?
2.完璧主義を手放す
完璧主義については、これまでも何度か書いていますが、完璧主義でいると、あまりいいことがありません。
特に、物の管理で完璧主義を発揮してしまうと、なかなかガラクタが減りません。
妥協買いと完璧主義:~同じもの、似たようなものがどんどん増えてしまう理由(その2)
これを機会に、完璧を追い求めるのを、少しお休みしてはどうでしょうか?
あるいは、恋人探しや職探しなど、片付けとは関係のない分野で、存分に完璧主義を発揮することにして、物の管理においては、完璧を追い求めるのをやめてください。
完璧主義が自分のためになるのか?
完璧主義と手を切るために、これまで、完璧を期したことで、いいことがあったかどうか、考えてください。
完璧主義すぎるせいで、部屋がよりきれいになりましたか?
それとも逆に、汚くなりましたか?
「私が完璧主義だから、こんなにすばらしいことが起きたのよ」という事例はあまりないと思います。
むしろ、失敗を恐れて、いろいろな決断を先延ばしにしてきたから、本当にやりたいことをやらずに来て、今、汚部屋で呆然としているのではないですか?
完璧を追い求めることが、自分の人生にさまざまな恩恵を与えていると心底思うなら、その主義を貫いていただいてかまいません。
しかし、「いつも完璧じゃなきゃだめだ」と思っているから、ストレスが増えた。
どこまでやっても、「もっと、もっと、がんばらなきゃ」と思うし、何を手に入れても、「もっといいものがあるんじゃない? 見つけなければ」いう焦りの気持ちから自由になれない。
こんなふうに思うなら、今こそ、完璧主義を手放すときです。
人の評価は気にしない
完璧主義すぎる人は、今日から、人の言うことを気にするのをやめてください。
完璧主義の人が、なぜ完璧を期すかというと、誰かに、「すごい!」「よくやった!」と認めてもらいたいからです。
「いえ、人のことはどうでもいいんです。完璧にやらないと自分の気がすまないんです」と、あなたは言うかもしれません。
ですが、もともとは、親に「いい子ね、よくがんばったわね」と言われるために、または、親に、自分の存在を認めてもらうために、完璧をめざしていたんです。
毎回それをやっているうちに、何をするにも、完璧を期すことがデフォルトになったわけです。
自分のすごさを人に証明するのをやめれば、「いつも完璧にやらなければならない」という気持ちから解放されます。
自分がいいと思うなら、誰かに、「すごい!」と言ってもらう必要はないし、他人に、自分の存在を証明する必要もありません。
自由に生活すればいいのです。
先日、自分をダメ人間だと思う人の相談に回答しました⇒自分を責めるのをやめる方法~自分を「ダメ人間」と思っても誰のためにもなりません。
相談してきた柴犬子さんの返信に、こんな文面がありました。
家族以外からはいつも否定的なことや批判的なことばかり言われていたもので、なかなか自責の念や自己否定が消えない
そういうこともあるかもしれません。
ですが、他人の言うことを、いちいち信じる必要はありません。
柴犬子さんに、否定的なことを言う人たちは、他人なのですから、柴犬子さんのことを、何ひとつわかっていないんです。
しかも、その場の思いつきで、無責任に、適当な批判をしているだけです。中には、八つ当たりしている人だっているし、人にひどい言葉を投げかけることで、自分の精神のバランスを取っている人もいます。
拒絶された、傷つけられた、人生って不公平。そんな気持ちを克服する方法(TED)
そのようなきわめて適当な批判を頭から信じて、自己のイメージを作るのはやめましょう。
さして必要でない資格をいっぱい取って、他人に自分のすごさを見せつけようとするのもやめましょう。
占いと一緒で、いいことを言われたときだけ、「そうか、私ってそうなんだ(ニコニコ)」と信じてください。
悪いことは、すべて却下します。
厳しい自己批判をする人(大半の人がそうです)は、このぐらいの割合でちょうどいいと思います。
人の評価より、自分がどう思うかを尊重してください。
幼いときから、ずっと点数や偏差値やらで、評価をつけられ、大人になってからは、年収や持ち物(家や車など)が、人間の質を決めるかのような扱いを受けてきているから、いきなり、「人の評価は無視してください」と言われてもできないかもしれません。
ですが、モーニングページなどを書いていただき、時々、「私って、信じる必要のないことを信じ込んでいるのかも?」と自分の信念を疑ってください。
次第に、「自分は大丈夫だから、完璧をめざしてしゃかりきになる必要なんてない」と思えるようになります。
☆この続きはこちら⇒他人の機嫌を取るのもほどほどに:決断するコツを教えます(その4)
■決断するコツ・これまでに書いた記事です。
捨てられないのは決められないから。決断するコツ教えます(その1)
*****
決断するコツ、3回目は完璧主義を手放すことをおすすめしました。
よりよい選択をするために努力することは必要ですが、断捨離に関しては、考え込みすぎないほうがいいです。
私がここでベストの選択をお教えします。
「不用品はすぐ捨てる」
これ一択です。