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かわいい物好きだった私が、いかにしてかわいい物への執着を手放したのかお話します。自分がかわいい物を好ましく思う理由がわかれば、わざわざそういう物を集めなくてもよくなります。
かわいい紙ものを集めていた私
今は比較的所持品の少ない私ですが、以前は物を持ちすぎていました。特に私が持っていたものは
・本
・雑貨
雑貨といっても化粧品などビューティー系ではありません。紙ものが多かったのです。レターセット、グリーティングカード、絵葉書、シール。
引越し前にどれだけ捨てたかわからないほどです。
なぜ私は紙ものをたくさん買ってしまったのか?そして全然使わないのにいつまでも捨てずに持っていたのか?
その理由を解明するために、人がかわいい物が好きな理由を調べてみました。
かわいい物が求められる理由
もともと人間はかわいい物が好きです。ネコ、とか。
特に女性はかわいい物好きが多いですね。男性だって、ふつうの物とかわいい物が並んでいれば、かわいい物は、「おお、かわいいね」と言って評価するのではないでしょうか?
男性は、醜い女性よりは見た目がかわいい女性を好むだろうし、可愛げのある女性が好き、という人も多いです。
なぜかわいい物が好かれるのか、いろいろ調べたところ、私たちはどうやら人間の赤ん坊をかわいく思うようにプログラミングされているのです。
赤ん坊をかわいく思えなければ、世話ができません。世話ができなければ、種が途絶えるのです。
実際、人間の赤ん坊は、生まれたときは本当に何もできません。
誰か(通常母親)が、24時間体勢でそばにいて、お乳をあげたり、おむつを替えたり、「おお、よちよち」と言いながら、抱いたり、さすったり、頬ずりしたり、微笑みかける必要があります。
生理的な欲求だけでなく、心理的な欲求も満たさないと人間の赤ん坊は人間らしく育ちません。つまり愛情を注がないと人間性が育まれないのです。
それについては、この記事の「フリードリヒ2世の乳児の実験」のところをお読みください⇒子供のおもちゃが増えすぎて片付かない?極論を言えば買ったおもちゃは必要なし
種の保存のためには、昼夜関係なく真っ赤な顔をして泣きわめく無力な赤ん坊をかわいいと思わなくてはなりません。
何もこれは自分の子供に限ったことではありません。他人の子供でも赤ちゃんは可愛いですよね。
実際、人間は赤ちゃんを見ると、脳の中脳辺縁系(ちゅうのうへんえんけい)が活性化され、「ああ、かわいいな、うれしいな、面倒見てあげよう」とやる気になるそうです。
このように私たちはもともとかわいい物を喜ぶようにできているため、かわいい動物はかわいいと思い、かわいくない動物にはあまり注目しません。
この法則は、生きていない物にも適用され、客観的に見れば、単に合成繊維でできた動物の形をしたおもちゃ、つまりぬいぐるみも、異様にかわいく思えてしまい、大事にする人がたくさんいるのです。
物がなくても大丈夫
自分がかわいい物を好む理由がわかったら、何もわざわざそういう物を所有する必要はないと思いました。
引越し前に物を捨てているとき、すでに自分は人間の子供と暮らしていたからです。
これから子供を産む予定はないし、街で捨て子を見たとしても、自分はちゃんと保護して、警察に届ける確信があるし、仮に自分の子供が子供を産んで、世話をするよう頼まれても、ちゃんと面倒を見るでしょう。
何も私が、いまさらかわいい物を集めなくても、種の保存は行われます。
私が、かわいい紙ものをガンガン捨てていたとき、家にいた人間の子供はすでに赤ん坊ではありませんでした。かわいかった赤ん坊は、ときにものすごく憎たらしいことを言う生意気なティーンエイジャーになっていました。
それでもよくよく見るとかわいいです。この子供がいるだけで充分というか、手一杯なので、かわいい物を抱え込んで、世話をするのに時間と体力を使うのはもうやめよう、と思いました。
人間の子供のみならず、物理的な物も所有するといろいろと世話が必要なのは、当ブログにしばしば書いているとおりです⇒買い物の支払いは代金だけじゃない。余計な物が生み出す5つの損害。
むしろ余計な物がないほうが、心の余裕ができるため、人の子供が電車やバスで泣きわめいているのに遭遇しても、寛容な気持ちで、「おお、元気なこと。よかった、よかった」と受け入れることができそうです。
かわいいから買ったのに、かわい過ぎて使えない
考えてみると、かわいい物を「かわいい」と思って愛でたり慈しむために、何もそれを所有する必要はありません。
むしろそういう物をたくさん集めすぎると、どれがどこにあるのかわからなくなって、「かわいい、うれしい」と喜べなくなります。
しかも私はせっかく買ったかわいい紙ものを「もったいないから」という理由で何年も使わずにいました。あまりにもラブリーで素敵(自分基準)なレターセットやカードなので、ふつうの時に使うのはもったいないのです。
では、いったいどんな時が来たら、自分はそういうかわいい物を使うのであろうか?
そう考えると、「そんな時は永遠に来そうにない」ということがわかりました。
もったいなくて何十年も使えなかったかわいいシールたちは、結局自分では消費できず娘に使ってもらいました⇒くさらない物も賞味期限を過ぎればガラクタ~もったいなくてシールが捨てられなかった愚か者の独白
絵葉書も娘に使い切ってもらおうとしましたが、これは未遂に終わりました⇒必死で絵はがきの使い道を考える日々:ミニマリストへの道(54)
結局絵葉書はどさっと寄付センターに持ち込みました。
時はインターネット時代。昔はせっせと手紙やカードを書いた私も、今は年に1度クリスマスカードを書くくらい。べつに「もったいない」と思わなくても、ふつうにしていたらカードの出番はないのです。
そこで捨てました。
かわいい物をかわいいと思える気持ちがあればそれで充分で、かわいいと思ったものを手当たり次第自分のものにする必要なんて何もないのです。
かわいい物要員を決めた
もちろん、かわいい物を自分のそばに置いておけば、「かわいいわね~」と幸せな気分になれます。しかし、そういう気分になるためには、そんないくつも持つ必要ありません。
かわいい物要員として、こぶりのぬいぐるみを4つだけ残しました。
これがあれば、ほかにかわいい物はもう必要ないのです。
キッチンで使う食器やツールを選ぶとき、「かわいい」という要素は排除しました。シンプルで使いやすいものを選んでいます。文具などほかの雑貨もそうです。
「かわいい物はもう家にある」と思ったら、ほかの物はどんどん機能的でシンプルになっていきました。持ち物をシンプルにしてわかったことは、かわいい物がありすぎるとかえって疲れる、ということです。
今はかわいい物が大量に置いてある店に入ると、ものすごい視覚的ノイズを感じます⇒いかにして私はキャラクターグッズを卒業したか~大量の「かわいい物」を断捨離して得た境地とは?
おしゃれでかわいい物が好きな場合はこうする
かわいい物と似ている物で、「おしゃれでかわいい物」というのがあります。
こういう物を集めてしまうのが止まらない人は、「かわいい物要員」を決めてしまうのにプラスして、自分軸を確立するとうまくいくと思います。
「おしゃれでかわいい物」を集めてしまう動機の1つは、「人からセンスがいいと思われたい」「人がうらやましいと思うような生活をしたい」「人からすてきねって言われたい」という気持ちです。
こういう心理を承認欲求といいます⇒強すぎる承認欲求(人にほめられたい気持ち)を手放す方法。
承認欲求は誰でももっている心理で、それ自体は悪いことでもなんでもありません。
ただ、この気持ちが強すぎると「本当はいらない物」が増えて、片付けが大変になるし、無駄にお金も出ていきます。
「なぜ自分はこんなにおしゃれでかわいい物にこだわるのか」その理由を考えると、「おしゃれでかわいい物」を集めるのがバカバカしくなるかもしれません。
ミニマリストへの道、最初から読む方はこちらから⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
この続きはこちら⇒痛い経験から学んだ子供の物の捨て方のコツ(写真つき):ミニマリストへの道(86)
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今はあまり「かわいい物」に執着しなくなりました。
たぶん、自分が本当に好きな物、ちゃんと使っている物を少数持ち、日々、好きなことをしているから、物で心を埋める必要がなくなったからだと思います。