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「ミニマリストへの道」第55回。このシリーズは、50代主婦が断捨離をしてミニマリストになるまでをお伝えしています。今回は、いかに私が、収納するクセを手放したか、という話をします。
収納するのをやめたことが、ミニマリストへの大きな一歩となりました。
モノを減らすための5つのステップ
50才の頃、All About Japanの「シンプルライフ」のガイドである金子由紀子さんの記事を時々参考にしていました。
2010年の2月、「モノを減らすためには」という記事を読みました。物の減らし方が5つのステップに分けて書かれてたものです。
この頃の私は、フライレディの片付け方にそって、断捨離を1年継続した後。年が開けてからはレオ・バボータの「暮らしをシンプルにする21のルール」にしたがって、さらに物を捨てていました。
そんな私にとって、5つのルールそのものは、さほど目新しい内容ではなかったです。
ですが、「知っている」と「できている」には大きな隔たりがあります。現実問題として、私はまだまだたくさんの物を持っていました。
金子さんの記事で特に心に響いたのは、5つのステップのうち、1番最初の「分ける」のところ。
家中のものを、「残すもの」と「出て行ってもらうもの」に分けます。残す基準はシンプルに。
● 今、実際に使っていて、それがなくなったら不便になる
● 使ってはいないが、とても好きで、それがなくなったら毎日寂しい思いをする
「今、使っていないが、また使うかもしれない」「好きだけど、今まで、持っていることを忘れていた」というものは、「出て行ってもらうもの」に分類します。
この記事、今でも読めます⇒モノを減らすためには [シンプルライフ] All About
この「分ける」をきっちりやろうとしたら、かなり時間がかかると思います。家中のものを分けるのですから。
それに、それがなくなったら寂しいかどうかなんて、手放してみないとわからない物も多いですよね。
しかしこの頃は、「ふ~ん、なるほどね」と思って読んでいました。
「また使うかもしれない」と思うものや、「持っていることを忘れていたもの」を「出て行ってもらうもの」にうまく分けることができれば、あとはトントン拍子に断捨離できると確信しました。
その頃の私は、片付けの最中に「持っていることを忘れていた」というものに、毎日のように出会っていたのです。
べつに長期にわたってしまいこまなくても、ついこのあいだ買った食料品なども視界から出してしまえば、いとも簡単に忘れていました。買って忘れていたスパイスやお菓子作りの材料をためこんでいました。
英語のことわざに、Out of sight, out of mind というのがあります。視界の外にあるものは、心の外に出る。見えなくなるものは忘れられる、去る者は日々に疎し、という意味です。
私は、まさしくこのことわざどおりの日々を生きていました。物を見えないところ(扉のある棚の中、引き出しの中)に入れてしまうと、すぐに忘れてしまうのです。
毎日扉をあけているクローゼットでさえ、視線を向けないはしっこにある服のことは忘れていました。
見えなくなった物は、すっかりその場所に居着くいてしまい、ガラクタ化をたどっていました。
ガラクタを収納しても暮らしはスッキリしなかった
私は物を適当に棚や引き出しの中に押し込んでいたわけではありません。一応自分なりに、「収納」を試みていました。インターネットで洋服のたたみ方や、「上手な」収納の仕方を検索したりもしていました。
子供服はこんなふうに収納していました⇒収納や整理整頓にはまって断捨離の遠回りをする日々~ミニマリストへの道(16)
捨てるプロジェクトをパワーアップしたあとも、残した物は、できるだけきれいに箱に入れてみたり、袋に入れてみたりしました。箱や袋にはマスキングテープでラベルをつけていました。
マスキングテープは便利です⇒マスキングテープのミニマリスト的活用方法、これ1つあればアレンジは自由自在
収納ケースやボックスを買うお金がなかったので、大昔にフェリシモで買った透明のプラスチックの引き出しを里帰りのときに持ち帰りました。ジップロックコンテナにアクセサリーやリボンを入れて、整理したりもしました。
引き出しやジップロックが足りなくなると、収納グッズの定番である、靴の箱にしまっていました。
引き出しや箱には、文房具やキャラクターグッズなど細々とした物を入れました。小さなものを透明の引き出しに入れると、片付いた気がして満足したものです。
詰め込んだ引き出しや靴箱を階下の物入れに並べていました。その部分だけをとってみれば、「美しい収納」に見えたと思います。雑誌「エッセ」や「すてきな奥さん」に出てきそうな写真です。
ところが、そうやって片付けてみても、私が求めているものは手に入りませんでした。確かに片付いたような気はするけれど、なぜかスッキリしません。心はざわざわとしたままなのです。
「おかしいな?なぜスッキリしないのかな?」
整然と並んだ箱の前で首をひねっていました。
その理由、今ならわかります。
取りあえずガラクタを箱の中に入れて、物入れに並べただけでは、部屋のある場所を片付けたにすぎません。私の暮らしをトータルで見ると、全く片付いていなかったのです。
意識して収納するのをやめてみた
透明の引き出しや、箱が並んでいるのをじっと見ながら、私は恐ろしいことに気づきました。
引き出しや箱に入っているものは、まぎれもなく、「今、使っていないが、また使うかもしれない」物であるということに。
これは「出て行ってもらうべきモノ」です。私は、家に置くべきではない物を、箱や引き出しにきれいに入れて、物入れにしまって、中身は完全に忘れてしまうのです。
もちろん中には、「使うもの」も入っています。「使うもの」が必要なとき、箱や引き出しをあけて探しました。「使うもの」が「出て行ってもらうモノ」にまぎれて、なかなか見つからないこともありました。
鈍い私も気付きました。
収納するからだめなんじゃない?収納するからガラクタがちっとも減らないんじゃない?
その日から安易に収納しないように肝に銘じました。いらない物をうっかりしまい込まないために私はこんなルールを作りました。
●減らすのではなく捨てる
●しまうのではなく捨てる
●とにかく捨てる
そう、捨てるのです。収納するのではなくて。物を減らすより、捨てるほうがあとあとずっと楽です。
何かを収納するときは、「本当にこれはしまってもいい物なのか」考えるようにしました。
なにせ、一度しまってしまうと、私は中身を忘れてしまうのです。引き出しや棚に入れる前に、これは本当にここに収納してしまっていいのか、ほかの選択肢はないのか、じっくり考えました。
☆「ミニマリストへの道」を最初から読む方はこちらから⇒何度も失敗したけど、今も前を見て進んでいます~「ミニマリストへの道」のまとめ(1)
☆「ミニマリストへの道」続きはこちら⇒東日本大震災のショックで断捨離がストップ:ミニマリストへの道(56)
収納するクセを手放したあとも物はあった
できるだけ収納するのをやめたら、私のものは飛躍的に減っていきました。それでも、今と比べるとまだまだ物を持っていました。
一昨年、引っ越しするときに、所持品を荷造りしてびっくりしましたから。
2014年の秋、引っ越しのために荷造りした箱です。大きな箱のサイズは55cmX55cmX33cm。
中身は、自分の服、バッグ、靴、調理器具(おもにお菓子作りの道具)、ラジオ、ヘナ、ぬいぐるみ、お香、その他の雑貨です。
私が人一倍持っている本や書類はまだ荷造りしていない段階でこんなにあったのです。
実はこのときも、箱に入れたあとに、すぐに中身を忘れてしまいました。この後、箱を開けて、再度中身を断捨離しています。
「収納するクセを手放した」と思ったあとも、まだこんなに物をためこんでいたのです。これら箱に入っていた物たち、今は半分も持っていません。
これまでの断捨離体験を通して、私が到達した真理が2つあります。
1.人が暮らすためにそんなにたくさんの物はいらない。
2.物を捨てたあと、後悔することはない。なぜなら見えなくなった物のことは、すぐに忘れてしまうから。
この真理、あくまで私にとっての真理です。ですが、多くの人に、あてはまるのではないでしょうか?
不用品を詰めた箱を寄付したあと、「ああ、寄付したあれやこれやが、今ここにあればどんなにいいだろう」なんて思う人は、まずいません。
「捨ててスッキリした」と思うはずです。肩の荷がおりて、心は軽くなるでしょう。
物は足りないぐらいがちょうどいいのです。