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完璧主義的傾向のある人に見てほしいTEDの動画を紹介します。
タイトルは、Our dangerous obsession with perfectionism is getting worse (私たちの完璧であろうとすることへの危険なこだわりは、ますます悪くなっている)。
プレゼンターは、社会心理学者のThomas Curran(トマス・カラン)さんです。
完璧主義者が増えている:TEDの説明
Social psychologist Thomas Curran explores how the pressure to be perfect — in our social media feeds, in school, at work — is driving a rise in mental illness, especially among young people. Learn more about the causes of this phenomenon and how we can create a culture that celebrates the joys of imperfection.
社会心理学者のトマス・カランは、完璧であれ、というプレッシャーが、ソーシャルメディア、学校、職場にあり、そのせいで、特に若い人の間で、精神疾患が増えていると語ります。
この現象の原因や、どうやったら、不完全である喜びをたたえられる文化を作り出せるか、学びましょう。
収録は2018年の11月、プレゼンの長さは15分。オリジナルの英語をはじめ、いろいろな言語の字幕がありますが、なぜか日本語はありません。動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Thomas Curran: Our dangerous obsession with perfectionism is getting worse | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
先週のプレゼンターもゆっくり話す人でしたが、カランさんもかなりゆっくり話していますね。ただ、たまに難しい単語(筆子基準)が出てきます。
完璧主義がいいことみたいに思われているけれど
私は少しばかり完璧主義です。この言葉、よく聞きませんか?
みなのお気に入りの欠点です。就職の面接の最後に、「私の最大の欠点ですか? 完璧主義であることでしょうか」なんて答えませんか?
たくさんの人が、うれしそうに、自分が完璧主義であると話しています。
「困ったもんです」と言いながら、完璧主義をあがめています。この現象は、興味深く、また、深刻な問題をはらんでいます。
あまりに当たり前すぎて、特に考えたりはしませんが。完璧主義が増えていることは、自分や文化において何を意味するのでしょうか?
完璧主義が精神疾患を増やす
完璧主義を勲章のように考えがちですよね。それは、成功の象徴です。
けれども、完璧主義について調べてみると、成功をもたらす事例はさして出てきません。
むしろ逆です。完璧主義者は、いつも「まだまだ十分ではない」という不満をかかえています。完璧主義は、精神的な問題を引き起こします。うつ、不安症、摂食障害、自殺ですら。
もっと心配なことは、過去25年で、完璧主義の人が増えていることです。同時に、若者の間で精神疾患が増えています。
自殺率は、アメリカだけでも、過去20年で25%もあがっています。カナダや私の母国の英国でも同じ傾向が見られます。
社会のあり方が完璧主義を増やす
リサーチによると、社会の変化につれて、完璧主義が増えています。社会が変わると、個人のアイデンティティに対する感覚が変わります。すると、若者の、他人や、自分をとりまく社会とのかかわり方が変化します。
現在は、市場優先社会で、尽きることのない選択や自由があります。欲しいものは何でも手に入ると感じることが、まるで伝染病のように完璧主義の問題を悪化させているのです。
見かけの完璧さを求める若者たち
例をあげましょう。
今日の若者は、完璧な人生、特に、見かけや社会的ステータス、財産において、完璧なライフスタイルを手にすることにこだわっています。
ピュー研究所のデータによれば、1980年代後半に生まれたアメリカの若者は、両親や祖父母の世代の人に比べて、20%多く、物質的に豊かになることを人生の重要なゴールとして、考えています。
さらに若者は、年配の世代よりずっと借金が多く、収入の多くを、見かけをよくするものや、ステータスを示すものに使っています。
こうして手に入れたものや、暮らし、ライフスタイルは、ソーシャルメディアで細かいところまで展示されます。インスタグラム、フェイスブック、スナップチャットで。
この新しいビジュアル重視の文化において、見かけが完璧であることは、現実よりもずっと重要なことなのです。
勉強や仕事でも完璧を求める
現代文化の中で、私たちは、若者たちに、「完璧な人生やライフスタイルがあるのだ」と思わせていますが、仕事においても同様です。
「強く願えば、叶わないことはなにもない」。そう言われていますよね。アメリカンドリームの中心になる考え方です。
機会、実力主義、自分のちからで出世する人間、ハードワークをよしとする、努力は必ず報われるという考え方。
とりわけ、「自分の運命を切り開くのは自分である」という考え方があります。
こうした思考が、私たちの富、ステータス、生まれもった個人的な価値と結びついています。
ですが、この考え方は完全にフィクションです。機会の平等があったとしても、自分の運命は自分で決めることができるという考え方は、経済的に苦労している若者たちの暗い現実を、おおい隠しています。
数値で評価される悲劇
評価基準、順位付け、成績表は、教室や学校、大学で、若者たちの実力を数値化するものとして生まれました。
教育の現場は、おおやけに測定を行い、パフォーマンスを改善するために、測定基準を使う最初の分野です。
ごく小さなころから始まります。
アメリカの大都市にある高校に通う子供は、保育園から、12年生(高校3年)になるまでに、標準テストを112回も受けることを義務付けられています。
若者たちが、努力し、パフォーマンスをあげ、達成しなければならないと言っても不思議はありません。
彼らは、成績や偏差値などの、厳格で狭い範囲の条件をつかって、自分が何者なのか定義するよう仕向けられてきたのです。
自信を失わせる現代社会
現代社会は、彼らの自信のなさにつけ込む社会です。
若者は、自分がどんなふうに行動しているか、自分が他人の目にどう見えているか、心配しています。
社会のあり方のせいで、彼らは、自分は不完全だと思うことが増えています。
失敗や挫折をするたびに、「次はもっとうまくやらなければならない」と思ってしまうのです。さもなければ、人間として失敗作ですから。
「自分には欠陥がある」という気持ちは、特に若者において顕著です。
「人にどんなふうに見えるべきか?」「どんな行動をすべきか?」「モデルのように見えなければ」「あのインスタグラムのインフルエンサーのように、たくさんフォロワーを作らなきゃ」「もっといい成績を取らなければ」。
完璧主義者のジョン
私は大勢の若者を指導していますが、このような完璧主義の影響は現場でよく目にしています。
ジョンという生徒がいました。野心的で努力家で勤勉。とても成績のよい生徒で、何をしても、優秀な結果を残しました。
しかし、彼は、どんなにいい成績をとっても、それをみじめな失敗ととらえてしまうのです。
面談で、彼は、「自分や他人を失望させた」と話していました。
彼の理屈はシンプルです。「ほかの人より、ずっと努力をしているのに、同じ結果になるなんて、どうして、それが成功だと言えるのか」。
彼の完璧主義や、絶え間ない努力は、自分が弱い人間だということを、自分自身や他人にアピールすることにつながっていたのです。
ジョンのようなケースが、完璧主義の問題を物語っています。
自分自身を完璧なものにしようとする
世間で思われているのとは違い、完璧主義は、物事や仕事を完璧にすることや、より優れたものを追求することではありません。
完璧主義の根底にあるのは、自分自身を完璧にすることです。厳密に言えば、不完全な自分を完全なものにすることです。
完璧主義の人は、「達成」という山を登っています。「頂上にたどりつけば、人々は、自分のことを欠陥品だとは思わないだろう、私には価値があると考えてくれるだろう」と考えています。
しかし、いったん頂上にたどりつくと、すぐに、不安と恥のある地点に引き戻され、再び、その山を登ろうとします。自滅のサイクルです。
達成することのできない完璧さを追い求めている完璧主義者は、その道から、はずれることができません。だから、完璧主義の治療はとてもむずかしいのです。
完璧主義の3つの要素
完璧主義が、たくさんの心理的問題を引き起こすことは、何十年も前からわかっていましたが、それを測定する方法はありませんでした。
しかし、1980年代後半に、ポール・ヒューイットとゴードン・フレットが、自己報告する形で、完璧主義を測定する方法を開発しました。
この方法では、完璧主義の要素を3つに分けています。
1つめは、自己に向かう完璧主義(self-oriented perfectionism)で、完璧でありたいという不合理な欲望です。
2つめは、社会的に規定された完璧主義(socially prescribed perfectionism)で、社会的に、完璧であることを要求されていると感じることです。
3つめは、他者に向かう完璧主義(other-oriented perfectionism)で、他人に、不可能で、現実的でない基準を押し付けることです。
リサーチによると、この3つの要素は、どれも心の健康を損なわせることにつながります。うつ、不安症、自殺願望の増加にかかわりがあるのです。
社会的なプレッシャーがもたらす完璧主義が増えている
もっとも、問題のある要素は、社会的に規定される完璧主義です。
自分が完璧であることを皆が期待していると感じる完璧主義は、深刻な精神疾患と大きな相関関係があります。
完璧さが強調されている今日、この3つの要素の度合いが変化しているかどうか知りたいと思いました。
これまで、完璧主義の研究は、肉親関係を中心に行われてきましたが、もっと広い範囲で見てみたいと思ったのです。
そこで、ポールとゴードンが完璧主義の測定法を開発してから、27年間に収集されたデータを集め、大学生のデータだけを取り出しました。
3年以上かけて、アメリカ、カナダ、イギリスの大学に通う、4万人以上の学生のデータから傾向を調べました。
そこからわかったことは、完璧主義の3つの要素が、時間の経過とともに増えていることです。特に、社会的に規定される完璧主義が圧倒的に増えています。
1989年、臨床の問題になる、社会的に規定された完璧主義をもつ若者は、わずか9%だったのに、2017年には18%と倍になっていました。
私たちが検証したモデルに基づいて予想をすると、2030年には3人に1人となります。
他人の期待にこたえようとしてハードルをあげる
社会的に規定された完璧主義は、深刻な精神疾患と一番関係がありますが、それには理由があります。
社会的に規定された完璧主義者は、他人の期待に応えなければならないと常に考えています。
たとえ、きのうの期待に応えることができても、今日はさらにハードルをあげます。
なぜなら、うまくできればできるほど、さらに多くを期待されると考えるからです。この考え方が無力感をうみ、ひどいときは、絶望感さえ感じます。
完璧主義をなくすには?
でも希望もありますよ。完璧主義者はたいてい聡明で、野心的、良心的で勤勉な人たちです。
確かに治療は難しいのですが、少しセルフコンパッション(自分に理解を示すこと)の気持ちをもてばいいのです。
うまくいかなかったときに、自分にやさしくすれば、もともと備わっている気質をつかって、心の平安を得たり、より成功したりできます。
完璧主義者の人間をケアをする者として、私たちにもできることがあります。
子供に干渉しすぎない
完璧主義になるのは成長期なので、若い人ほど犠牲になりやすいものです。
子供が何かに挑戦して失敗したとき、親が無条件にサポートすることで、子供たちを助けることができます。
競争の激しい現代社会では、ヘリコプター・ペアレント(過保護・過干渉の親)になりがちですが、その気持ちをおさえてください。
親が、子供の成功や失敗を、自分のことのように受け止めると、子供に大きな不安が伝わります。
社会のあり方を変えるべき
一番重要なのは、私たちがどんな社会を作り上げているかです。競争、評価、テストに重きをおいている社会が、はたして、若者のためになっているのかどうか。
「これまでになかった新しいプレッシャーに対して、若者たちが、もう少し、強くなればいいのだ」とよく言われますが、これは、無責任な言い草だと思います。
というのも、私たちには、若者がそんなふうに完璧さを求めなくてすむ社会や文化を作りだす責任があるからです。
確かに、そのような社会を作り出すのはとてもむずかしいことです。
1日24時間、1年365日、評価や偏差値、ソーシャルメディアの中で暮らしている若者にとって、完璧主義は避けられないでしょう。自分が他人の目にどんなふうに見えているか、他人にとって、どんなふうに行動できているかを気にすることより、もっと大事な人生の目的を見つけない限り。
完璧を追い求めることが絶望につながる
そうしない限り、若者たちは、山頂から突き落とされるたびに、また同じ山を登ろうとします。
古代ギリシャ人は、同じ山を永遠に登ったり、下りたりするのは、幸せへの道ではないと知っていました。
彼らにとって、地獄のイメージは、シジフィスと呼ばれる男です。シジフィスは、大きな岩を山頂へ押し上げる苦行を科せられていました。
押し上げた岩は、すぐに谷底に転がり落ちたので、彼は、永遠に、同じことを繰り返さなければなりませんでした。
私たちが、若い人たちに、「完璧さを追求すること以外に、現実的で意味のあることはない」と、教え続ける限り、将来の世代にも、同じようなむなしさや絶望をもたらすことになります。
不完全を認める社会を作ろう
限界のない完璧さなんて、非人間的だと、いつになったら私たちは気づくのでしょうか?
完璧な人間などいません。
完璧主義の罠から、若者を救いたいなら、混沌とした世界の中で、ときには、うまくいかないことや、思い通りにいかないことがあり、それでいいのだということを教えなければなりません。
失敗は弱さとは違います。不可能な完璧を追求して、自信をなくしている若者を助けるために、完璧なものがあるという妄想のない社会で、彼らを育てなければなりません。
彼らに、精神的、感情的、心理的に健康になってもらうには、日々の生活の中でごくあたりまえに、不完全であることの喜びや美しさを大事にすることを教えてあげるべきなのです。
//// 抄訳ここまで ////
単語の意味など
begrudging しぶしぶの、気のすすまない
insignia 勲章、記章
preeminent とても目立つ
meritocracy 能力主義
abject みじめな
helicopter-parent ヘリコプター・ペアレント、過保護・過干渉の親。常に上空から監視し、何かあると急降下してくるヘリコプターのような親。子供が困っていると、手出しをしてすべてを解決しようとする親。
セルフ・コンパッションとは⇒セルフコンパッション(自分にやさしくする)の実践で人生を変える(TED)
完璧主義に関するほかのプレゼン
不安な心(ヴァルネラビリティ)に秘められたパワー:ブレネー・ブラウン(TED)
成功と失敗、そして創り続ける力:エリザベス・ギルバート(TED)
仕事の失敗でいちいち落ち込まない方法。親切で、優しい成功哲学(TED)
人生において運が果たす役割とは?:バリー・シュワルツ(TED)
自分をブスだと思うことがなぜ悪いのか? ありのままの自分を認めるために(TED)
完璧主義は今日を限りに捨てましょう
先日、完璧なフォトアルバムを作ろうとして疲れている方の相談に答えたので⇒子供のフォトブックを作っているけど、どの写真も大切に思えて選べない。そんなときはこう考えよう。 今週は完璧主義に関する講演を紹介しました。
どんな人にも欠点はあるし、ものごとが完璧に行くことなんて、決してないのに、多くの人が完璧を求めてしまうのはなぜか?
カランさんは、完璧なものがあると、社会が皆に教えているからだと言っています。しかも、その社会は大人が作っていて、子供たちにつらい思いをさせています。
そうかもしれませんね。
少なくともメディアは、私たちに、「あなたはもうそれで十分ですよ」とは絶対言いません。
もっと、こうしろ、ああしろといろいろうるさいです。
しかも、ソーシャルメディアを見れば、自分よりいいものやいいことを獲得した人たちの生活がずらずらと出てきます。
学校では、小さいころから、数字で序列がつくし、大人になっても、売上や年収などいろいろと数字のランキングがついてまわります。
これでは、競争が激しくなるのも仕方ないですね。
それに、もともと人間には、向上心があり、どんなことでもうまくなりたいと思ってしまいます。これまで1度もやったことないことでも、いきなりうまくなりたいと思いませんか?
私は塗り絵が趣味ですが、あまり才能はないらしく、なかなかうまく塗れません。
YouTubeで、上手な人の塗り絵を見ると、自分の塗り絵が情けなく感じられることがあります。カランさんのいう「無力感」です。
しかし、よく考えると、私はべつに塗り絵がうまくなる必要なんてこれっぽっちもないのです。
それで生計を立てているわけでも、これからそうするわけでもないのですから。
ただ、楽しみのために1日15分ほど、気ままに塗っているだけです。
そんなことはよくわかっているのに、「もっとうまくなりたいな~」と思って、塗り方レッスンを見たりします。
すると、きれいに塗るためには、色鉛筆でやさしく何度も塗らなければならないらしいと気づき、「そんな面倒なことやってられるか!」と憤り、「でもやっぱりうまくなりたいわね。最小限の努力で最大限の効果をあげられる方法ってないかな」なんて思ったりするわけです。
親におもに成績だけで評価されたり、兄弟と比較されて育った子供たちが、「もっと、もっと」とがんばってしまうのは無理はありません。
しかし、こうした完璧主義が心の病につながっています。
完璧主義はあらゆることに発揮されます。仕事、勉強、家事、おしゃれ、弁当作り、部屋づくり、断捨離、貯金、子育て、ペットの飼い方、何にでも。
完璧主義の人は、自分が完璧主義だということに気づいていないことが多いので、何かがうまくいかなくて焦燥感を感じるときは、「もしかして完璧を追い求めているのかも?」と振り返ってみるといいでしょう。