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頼まれると、断れない。やれば疲れるし、断れば後味が悪い。
そんな板挟みに悩むお便りを、これまで何通もいただいてきました。
今回は、断り方のコツではなく、そもそも自分が何を引き受けているのかを確かめる棚卸しを提案します。
背負っている荷物の中身がわかれば、断る決心もつきやすくなります。
頼まれごとは、ものと違って目に見えない
部屋にものがあふれていれば、床や机を見ればすぐにわかります。
ところが、抱えている用事は目に見えません。
予定はカレンダーの中に、頼まれごとは頭の中に、返信するべきメールは受信箱の中に、家族の期待は日々の空気の中に、ばらばらに散らばっています。
全部でどれだけあるのか、数えない人が多いと思います。
そのため、用事がたまっていることに気づかないまま、新しい頼まれごとを受けてしまいます。
しかも、長年の習慣で、引き受けるかどうか考える前に、口が勝手に「いいですよ」と答えます。
私にとっては、メールの返信がそうでした。
ブログを始めたころは、読者から届いたメールに全部返信していました。
そのうちきつくなってきたので、メールフォームに返信が必要かどうかを選ぶ欄を作り、要返信のものだけに絞りました。
それでも、要返信のメールが届くと、すぐに返そうとして、疲れていました。
返信していないメールがあると、未完了の仕事があるようで、落ち着かなかったのです。
今は、時間に余裕があるときだけ返信し、できなかった分は、土曜日にまとめて返しています。
そう決めてからは、平日に受信箱を開くのが嫌ではなくなりました。
要返信とあればすぐに返すのがあたりまえ。そんな思い込みを手放すまでに、ずいぶん時間がかかりました。
引き受けすぎのサインは、体と心に出る
自分が引き受けすぎかどうか、頭で考えてもよくわかりません。
長年続けてきたことは、それが普通になっているからです。
手がかりになるのは、体と心の反応です。たとえば、次のようなことが起きていませんか?
・カレンダーを見ると、気が重くなる
・月曜からの1週間を思うと、日曜の夜に憂鬱になる
・頼まれてうなずいた直後に、後悔する
・特定の人からの連絡やメッセージの通知に、身構える
・家でくつろいでいても、何かやり残している気がして、そわそわする
・断るための言い訳を、頼まれる前から考えている
この中でも、直後にする後悔はとくにわかりやすいサインです。
口では快く返事をしながら、心の中でため息をついているなら、本当はやりたくなかったのです。
これらは、もう十分背負っている、という体からの知らせです。
ただ、サインに気づくだけでは、何も変わりません。
何をどれだけ抱えているのか、具体的に確かめてみてください。
抱えているものを4つに分けて書き出す
紙とペンを用意して、今引き受けているものを書き出してみましょう。
頭の中で考えるだけだと、考えがこんがらがって、全体が見えません。
分け方は、次の4つです。
・予定:スケジュール帳に入っている約束。定例の集まり、習いごと、人と会う予定
・頼まれごと:人に頼まれて、やると言ったこと。家族の用事、友人の相談、町内の当番
・返信:返さなければと思っているメール、メッセージ、お礼の連絡
・期待:はっきり頼まれてはいないけれど、あなたがやるものだと思われていること
分類に迷うかもしれませんが、ざっくり分けて書いてください。
書き出せば、無意識にしていたことに気づけます。
4つの中でいちばん見つけにくいのは、期待です。
夕飯を作るのは私、実家の様子を見にいくのは私、親戚への連絡係も私。
誰にも頼まれていないのに、やらないと悪い気がする用事のせいで、疲れていることが多いです。
思い当たらないときは、誰かにがっかりされそうで、やめられないでいることは何だろう、と考えてみてください。
そのとき出てくるものが、あなたが背負っている期待です。
引き受ける相手は、他人だけではありません。
自分が自分に課したものも、ある種の引き受けごとです。
たとえば、私はあれこれ書いているうちに、自分で勝手にやらなければと思ってしていることに気づきました。
毎朝モーニングページ(頭に浮かんだことをそのまま書きつけるジャーナリング)を書いて、たまにブレインダンプ(頭の中にあることを全部紙に書き出す作業)もします。
今年に入ってからは、AIを相手に、一日の終わりに振り返りもしています。
そういう作業をしていてわかったのは、仕事のやりすぎです。
私の仕事は一人でブログを書くこと。量も締め切りも、自分で決められるはずです。
なのに、つい予定の時間を過ぎても働いて、オーバーワーク気味になるのです。
こうした期待も忘れずに書いてください。
自分で決めたことでも、やめていい
書き出したリストをながめると、人に頼まれたものと、自分で決めて始めたものが混ざっているはずです。
この2つは、きれいに分けられそうで、実際は区別がつけにくいです。
自分で決めたつもりでも、もとをたどれば、人の期待に応えた結果だったりするからです。
逆に、頼まれて始めたことが、今では自分の楽しみになっている場合もあります。
仕分けにこだわらず、リストの全部を、今の自分の希望に合っているかどうかで見直しましょう。
自分で決めたことでも、時間が経つうちに、負担に変わっていることは珍しくありません。
この棚卸しは、全部手放すためにするのではありません。
納得したうえで続けると決めるのも、もちろんありです。
私は周囲に親戚がいないので、人に頼まれることはめったにありません。ただ、娘の頼まれごとはほぼ無条件でしています。
とくに多いのは、娘の家の掃除です。
引っ越して娘の家と近くなってからは、いつ頼まれても掃除に行けるように、ブログ記事のストックを作るようになりました。
娘がネット通販で買ったものを、私の家で受け取ることもよくあります(宅配便の盗難対策です)。
頼まれてやっているのか、自分がやりたくてやっているのか、その境目はあいまいです。
この記事を書く前に、実際に点検してみて、どれも続けることにしました。
やって当然だと思えるし、私も娘にしょっちゅう頼みごとをしているので、お互い様だからです。
ただ、娘の荷物を詰めた箱がうちに置きっぱなしになっているのは、ミニマリストとして不愉快なので、折にふれて、持っていってくれと娘に言っています(まだ実現していません)。
続けるものは続ける、嫌なものは嫌だと伝える。
そんなふうに、線引きをしてください。
嫌だと伝えたら、相手の機嫌を損ねそうと心配になるかもしれません。
でも、人の考えや行動は、コントロールできません。
私も若い頃は、そばにいる人の機嫌が悪いと、私が何かしたかしら、と考えたりしましたが、人は変えられないと割り切ってから、気に病むことが減りました。
⇒それ、あなたの問題じゃないかも? 心の境界線を引くという考え方
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断れないのは、気が弱いからだと思われがちです。
実際は、両手がふさがっているのに気づかないまま、次の荷物を受け取っているせいではないでしょうか?
引き受けごとの棚卸しは、ものの片づけと同じで、一度やったら終わりではありません。
暮らしが変われば、抱える用事も変わります。ときどきやり直してくださいね。














































