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他人の承認を求めすぎない方法を7つ紹介します。
人に「素敵ですね」「すばらしいですね」「センスいいですね」「おしゃれですね」「いいママですね」「いい奥さんですね」と言われると誰でもうれしいものです。
ですが、他人に評価されることを第一の目標にしてしまうと、自分らしく生きられなくなります。
つまり、他人軸な生き方になります。すると、よけいな物が増えます。
他人に評価されなくても、「自分が納得できれば、これでいいんだ」と思えるようになれば、人の目を気にして、いろいろな服を買うことはなくなるし、
となりの家と同じような物を揃えることもなくなるし、世間一般で言われる、「よい生活」に合わせるために、したくない仕事を無理にしなくてもよくなります。
他人の評価を気にしすぎている人は、以下のように考え、行動してください。
1.人に評価されなくても生きるのに不都合はない、と考える
人間は自分の属しているコミュニティに受け入れてほしいと強く望んでいます。
これは、本能的な思考です。
なぜなら、1人だけでは生きられないからです。
だから、コミュニティのルールには従うべきだし、お互いに助け合うべきです。
特に、大昔、マンモスと戦っていたような時代は、部族から外れてしまうと、死を覚悟しなければならなかったでしょう。
しかし、21世紀において、全く好みではないのに、「会社の同僚やママ友に受けのいい服」を無理に着なくてもべつに死んだりはしません。
「わ~、おっしゃれ~~~っ!」「筆子さんて、センスいいわね~~~」と言われなくても、1日はつつがなく終了します。
他人の評価が気になる人や、見栄っ張りな人は、「人に素敵だと言ってもらわないと、何か致命的なことが起こる」と思い込んでいるだけです。
実際は、何も起きません。
私は、服装や持ち物に関して人からほめられることは、まずありません。
20代の頃、変な物(一応、最新のヘアアクセサリー)を頭につけていて、駅で、女子高校生たちにひそひそ言われたことはあります。
ですが、それだけです。女子高校生は、その場で笑うだけで、学校へ行ったら、もう私のことなんて忘れているし、いま、この事件のことを覚えているのは私だけのはずです。
私はといえば、ひそひそ言われたその時は、「感じの悪いやつらめ、まあ高校生だからしょうがないか」と思いましたが、それで人生が終わったわけではありません。
いまもふつうに生きています。
生きているだけでなく、この件をネタに、こうしてブログの記事にしています。
2.人の承認を求めすぎると、逆に困ったことが起きる、と知る
人の承認や評価を必要以上に求めると、デメリットのほうが多いです。
見栄っ張りな人は、物で武装して、「私はこんな人よ、どうだ、まいったか!(すごいですね、とおっしゃい)」と他人に誇示します。
しかし、そうやって着飾った自分は、本当の自分ではないため、常に気持ちのどこかに、「無理している感覚」があります。
嘘をつくと、心が痛みます。
本当の自分じゃない自分を見せ続けていると、居心地の悪い毎日が続くのです。
見栄っ張りが重症になると、いつ嘘がばれるかドキドキします。
自分じゃない人のふりをするために、余計なお金が必要だし、所持品が増えて管理の手間も発生します。
物が増えすぎたので、少し断捨離しようと思っても、今度は「物を捨てていることに対して、何か言われるんじゃないか」という心配が生まれます。
他人に「いいですよ」と言われないと動けない人は、一事が万事、窮屈な人生を送るはめになります。
貯金できないのは見栄を張るから。よく見せようとすることの恐ろしさとは?
3.自己主張する練習をする
人の評価を気にする人は、自己主張することに慣れていません。
周りに合わせることや、周りで評価の高い行動をすることを繰り返してきたからです。
日々の生活のなかで、自己主張するチャンスがあったら、その機会を逃さず、少しずつ自分の意見を言う練習をしてみるといいでしょう。
自己主張は、自分の意見を相手に言うことだけにとどまりません。
自分が本当にしたい生活をするのも自己主張です。自分が本当に食べたいものを食べ、本当にほしいものを買い、本当に読みたいものを読むのも自己主張です。
持たない暮らしをめざしているのに、周囲の人にそのことを言えない人がいます。
その結果、不用な贈り物をもらいます。
ノーと言わないからです。
贈り物を差し出されたとき、「ありがとう。気持ちだけいただくわ。でも贈り物はいらないわ。物を持たないようにしているから」と言うのも自己主張です。
欲しくないときは「いりません」と言え。もっと自己主張する3つの方法。
4.他人の評価より自分の評価を優先した結果を検証する
少しずつ自己主張をし、自分の評価を優先順位の1位にもってくる生活(他人がそれを好きかどうかではなく、自分がそれを好きかどうかで意思決定をする生活)をしばらく続けたら、
どのようなことが起きているか、客観的に見てください。
あなたの生活は、ガラガラと崩壊したでしょうか?
SNSで、人に「いいね」を押してもらえないので、食欲が落ちてやせたでしょうか?
もう、「生きていても仕方がない」と思ったでしょうか?
だとしたら、相当、他人の目にふりまわされています。
さらに、自己主張する練習を続けてください。
思い切って、自分の意見を言ったら、はればれとした気分になった
勇気をだして、いらないと断ったら、なんてことはなかった、何ごとも起きなかった
付き合いでするお茶をやめたら、英語の勉強をする時間が増えた
新しい服を買わなくてすんだ
などなど、いいことも起きているかもしれません。
いいことも悪いことも全部日記につけ、「それでも、私はふつうに生活できているし、どちらかというと、前に向かってすすんでいる」ことを確認してください。
5.すぐに他人をジャッジするのをやめる
人のジャッジを気にしないために、まず自分から相手をジャッジするのをやめます。
自分が人からどう見られているか気になる人は、たいてい自分も他人をジャッジしています。
他人が自分と違う意見を述べたり、自分の好みでない服装をしていたり、自分の予想に反する行動をしたりすると、必要以上に、大きな違和感を感じ、相手をジャッジし、攻撃したくなるかもしれません。
「人はそれぞれ違うのがあたりまえだ。意見が違っていても、お互いに協力しあって生活できる」と思っていたら、他人が自分の想定する枠の外にある行動をしても、そこまで気になりません。
自分がジャッジしているから、自分も他人にジャッジされていると感じてしまうのです。
誰かが自分には理解のできない服装をして、自分の想像の外にある髪型をしていたとしても、特に何も困らないはずです。
「ユニークなセンスだなあ」と心の中で思うだけでいいのです。
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6.人から評価されるためだけに買った物を断捨離する
他人に、「きれいな人」「すてきな人」「センスのいい人」「賢い方だわ」「仕事ができる人だわ」「やさしい方ね」「おしゃれなミニマリストね」と言われたいがために買った物を捨てます。
例:
- べつに必要ではなかったが、子どもの入学式や授業参観日で、そこにいる保護者に「素敵な人」「よいママ」と思ってもらうために買った服。
- ほしくなかったが、「よい嫁」と思ってもらうために、義理の両親からもらった飾り物
- 同僚に経済力があることを見せつけるために買った時計
- おしゃれなママと思ってもらうために買ったジャケット
- 職場の若者受けを狙って買った靴
- 男性に受けるためだけに買ったスカート
実際は、100%、人の評価を気にして買ったものはないかもしれません。
しかし、所持品の中から、「自分が好きというより、他人が好きだといいそうな物」を探してみると、いかに、自分が他人の評価を気にしているか、客観的に振り返ることができます。
「他人」には、あかの他人だけでなく、両親や兄弟姉妹、配偶者、友人など、親しい人も入ります。
7.セルフエスティームを上げる
あまり自分に自信のない人は、生きるよりどころを他人の承認にもとめてしまいがちです。
そこで、自己肯定感をあげる努力をします。
セルフエスティームをあげる方法は過去記事に書いていますが、
・自分との約束を守る(決めたことを実行する)
・本当に好きだと思うことをやる
・ありのままの自分(性格、容姿、境遇、持ち物、体調、考え方すべて)を受け入れる努力をする
こんなことをすると、効果的です。
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人の評価を追い求めすぎない方法を紹介しました。
以前、「自分が好きなブランドの服が、SNSでけなされているので、その服を着るのが怖い」という相談をもらったことがあります。
好きな服を着たいけど、ネットで叩かれると思うと怖くてできない。
この相談者さんは、とても正直な人だと思います。
確かに、自分の好きな服がけちょんけちょんにけなされていると、いい気はしません。
ですが、人の趣味や行動を、匿名で、ぼろぼろにけなしている人は、とても弱い人なのです。
他人をけなすことで、自分の価値にげたをはかせているだけです。こういう人も、自分を信じられず、他人の評価を追い求めて生きています。
自分が好きでないもの、異質に感じるものに対して、ここまで攻撃的になれるのですから。
他人に評価されなくても大丈夫な人が増えると、もっと寛容な社会になると思います。