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ゲームに関する読者のお便りを2通紹介します。
持たない暮しを心がけていたら、ゲームのやり方や、ゲームとの付き合い方が変わったという体験談です。
内容:
・ゲームのやり方にも、実生活の自分が出ていた。
・オンラインゲームはもうやめることにした。
まずノノさんのお便りです。
ゲームにも普段の自分が出てしまっていた
件名:ゲームについて
いつも興味深い記事をありがとうございます。
今日、スーパーマリオ絡みの話だったので、この前からちょっと筆子さんに話したいと思っていたゲームに関することを、メッセージに書いてみようと思いました。
最近、大人気で話題の「どうぶつの森」のことです。
筆子さんはきっとこのゲームをしていないと思いますが、この『どうぶつの森』では、自分の家を建て、だんだん家を大きくし、部屋を増やし、家具や自分の洋服や靴、帽子、道具などを買い、コーディネートしたり、収納したり、要らない物を売り払ったりするのです。
(もちろん他にもいろいろなことができます)
私は前作の3DS*版のとき、自分の持ち物に苦労しました。
普段の家具や壁紙、衣類の他に季節のイベントやグッズもあるのです。
短い季節限定で手に入るレアな物もありました。
家に飾り切れず、収納しきれず(収納数に制限があります)、売ることもしないで、欲しい物をなんでも買ったり(ゲーム内の通貨で、課金ではありません)、もらったり、拾ったりしているとどんどん持ち物が増えてしまい、持ちきれないものを家の外に置いたりすると村が散らかり始めます。
人と通信もできますが、私は1人でやっていたので、他の人がどんなふうにやっているかは知りません。
みんな、物をどうやって片付けているのだろう、どんどん売ってしまうのだろうか、などと考えていました。
今回の新作の『どうぶつの森』をやり始めたところ、筆子さんのブログを読み続け、以前より物を減らした暮らしが出来るようになったリアルの効果が出て、ゲームの中でも片付けられるようになっていました。
買い過ぎず、要らないものはすぐに売ったり人にあげたりして、すっきりした部屋に暮らしています。村(今回は島ですが)の中もきれいです。
当然の気もしますが、なんだか滑稽ですね。
ゲームにも普段の自分が反映されてしまうのです。
よくばりな気持ちも、得をしようという気持ちも現れます。恐ろしいです。
今日のTEDのように、ゲームを自分のリアルがうまくいくようにするためにも使って行けるといいのですが。
以上です。筆子さんが全然関心がないことだったらすみません。
これからも毎日の更新を楽しみにしています。
3DS*:任天堂の立体視ディスプレイ搭載の携帯型ゲーム機(ウィキペディア)
ノノさん、こんにちは。メールありがとうございます。
いつも記事を読んでいただきうれしいです。
私、ゲームはやりませんが、「ゲームの仕方に自分の価値観が反映される」とうい話には興味がありますから、「なるほどね~」と思って、お便りを読ませていただきました。
いまはきれいな部屋(ゲームの中での部屋)で暮らせているとのこと、よかったです。
『どうぶつの森』という名称は聞いたことがありますが、中身は全然知りませんでした。
家を建てて、家具調度を集めるゲームなんですね。
数年前に流行った、フェイスブックのFarmVille(農場ゲーム?)と似てるでしょうか。
Farmvilleも、私はやったことはありませんが、すごくはやっていて、漫画のネタになっていました。
私はゲーマーと呼ばれる人の対極にいる人間で、ゲームらしいことはまずしません。
子供のときは、トランプや百人一首をしましたし、娘が小さいときは、一緒にボードゲーム(モノポリーとか)をしたこともありますが、あくまでつきあいでやっていただけです。
あんまり真剣にやっていなかったから、ほかの人はおもしろくないと思っていたでしょう。
楽天市場で、スロットか、おみくじか忘れましたが、何かをクリックすると1ポイントプレゼント、というのがありますが、ああいうのですら、めんどくさいのでやりません。
ですが、好きな人には、楽しんでもらいたいと思っています。
それでは、ノノさんも、楽しくゲームを続けてください。
ゲームの話⇒スーパーマリオ効果 – もっとたくさんのことを学べるように脳をうまくだます(TED)
次は、かいりさんのお便りです。
オンラインゲームはもうやめた
件名:ゲームデータを断捨離しました。
5月9日付の記事では、カナダの状況について教えてくださってありがとうございました。
現地に居る方のお話が読めるのはうれしいです。
昨日、私はまたひとつ、断捨離をしました。
4年近くやっていたゲームデータの断捨離です。
これには少し長いですがきっかけがありまして。
祖母の葬儀の時のことなんです。
葬儀自体は家族葬とかいう形式でしたので、身内(私と両親と親戚。県内在住ばかり)だったのでさほど気をつかうことはありませんでした。それでも疲れましたけれども。
会場も葬儀会社のホールを借りて、初七日法要まで式次第が進んだ時、とある光景を目の当たりにしたんです。
お坊さんが忙しくていわば待ち人状態の空き時間。
私の真後ろの席に座っていた年上の従姉がスマホゲームをポチポチやりだしました。
繰り返します。
初七日法要です。お坊さんが来るのを待っています。法要ですので、無論仏壇がしつらえてあり、祖母の遺影や位牌、骨壺が安置されています。
場所が場所だしmもめたくなかったので何も言いませんでしたが、内心「こんな状況で普通するか?」と思いました。
緊急事態宣言下で勤務日数を減らしていた私は、良くも悪くも時間だけはあって。
そんな時にこんな光景を目にして、ゲームに対する熱というか、何だか冷めてしまった。
スマホやPCでするゲームって、サーバーにデータがあってそれを使用するので、終わりがないんですよね。
ファミコンみたいにソフトがないからエンドロールが出ない=果てがない。
張りつめていた糸が、ぷつん、と切れた感じになって。
「あ、もうやめよう」と。
「もうやる必要もない」と思うと気が楽です。
ゲーム自体は楽しかったんですけど、イベントばかりで落ち着かなかったのもの事実でしたので、多分私の生活においては、重要な要素ではなかったんだと思います。
宣言が解除されて以降、図書館を利用するようになりました。
HPから借りたい本を検索して予約して、「用意できました」メールが届くと借りて読むんですけど、「NO BOOK NO MUSIC NO LIFE」だと認識できたのは収穫でした。
(近距離の実家から、親が新聞を集合ポストに入れてくれるんですけど、読めないのがストレスでした……)
まだ実家に私物がのこしてありまして、「片づけないとなー」と思っていたところに、6月12日付けの「思い出の品で実家を倉庫にするな」という一文が刺さった私は、少しずつアパートに持ち帰ってきては処分しております。
スペース面でもお金の面でも、もったいないことしてたなーと、ちょっと遠い目をしてしまいました。
かいりさん、こんにちは。メールありがとうございます。
断捨離が進んでよかったです。
おばあさん、亡くなられたのですね。ご愁傷さまでした。
法要の場所では、スマホでゲームなんてしませんよ。
供養の場ですから。
先日も、供養について書きましたが⇒持て余している物なのに、捨てにくい人は、捨てやすくなる儀式を考えてみては?
供養とは故人を思い出すことです。
「自分はそんなことしたくないし、退屈なのよ」と思っても、ほかの人の気持ちを考えたら、とてもゲームなんてできないでしょう。
スキマ時間があるたびに、スマホをかまっていると、すっかりそれが普通になって、空き時間に、何もしないで脳を放置することができなくなります。
常に刺激を追い求めてしまうわけです。
ですが、ぼーっとする時間がないと、脳が疲れるし、だんだん物事を考えられなくなります。
以前、スマホの見すぎで脳疲労になる話を紹介しています⇒脳を疲れさせない方法と、疲れたときの対処法。
あとで、ゲーム関連の記事をリンクしておくので、よろしければ、従姉妹の方に紹介してください。
図書館を利用して読書を始めたのですね。ゲームより、目にもやさしいし、いいと思います。
それでは、かいりさん、引き続き、シンプルライフを楽しんでください。
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ゲームに関するお便りを紹介しました。
私はもともとスポーツやゲームにそこまで興味がありません。ルールを読んで理解するのが面倒なのです。
勝っても負けても、あまりピンと来ません。
体操やテニスなどを見ているときは、それなりにおもしろいと思いますが、ほかにやりたいことがあるため、最近、スポーツ中継はほとんど見ません。
プロスポーツやオリンピックがこの世からなくなっても、私の生活はさして変わらないでしょう。
ですが、スポーツやゲームが、人生において、とても大事で、そうしたものから、いろいろなことを得ている人が大勢いることも知っています。
ゲームが、自分の生活にいい影響を与えているなら、続ければいいですね。
それでは、あなたも何か伝えたいことがありましたら、お気軽にメールください。
お待ちしています。